2007年11月12日月曜日

飛騨家具は家具の産地

 飛騨家具は現在では日本でも有数の家具産地となり、その中心地の飛騨・高山ですが、その飛騨家具の歴史は大正9年(1920)、今から81年前の中央木工株式会社(現在の飛騨産業)の誕生が源で、飛騨での本格的な飛騨家具造りの幕開けでした。日本で現存する家具企業としては、実質的に飛騨産業が最古参的存在であり、常に、国内の家具業界はもとより、地域のリーダー家具企業として家具業界を牽引してきた功績は大きいものがあります。

飛騨家具の誕生


 大正時代の飛騨家具の高山町は、南の岐阜へ140キロ、北の富山へ90キロの地点にあって、当時の高山の産物といえば生糸生産が主産業で、騨の山々に群生するブナの原生林も、飛騨家具としての用途がないまま手つかずの状態で、無用の長物とされていました。飛騨家具の始まりは、武田は当時57歳。大野屋の主人として味噌・醤油の醸造業を手広く営み、高山町の有力実業家の一人でもありました。武田は曲木家具に強い関心を持ち、木材に精通した知人の廣島粂蔵に意見を求めました。廣島は針葉樹を使って蒸し器や篩(ふるい)など曲げ輪っぱづくりの大手製造業者で、森前の話にひどく興味を抱き、武田と二人で曲木家具について技術問題・設備・関西での売れ行き・値段など、こと細かく熱心に尋ねました。

飛騨家具の苦労


 飛騨で木工家具を生産する場合、繁茂しほうだいに放置されている広大なブナの原生林が、飛騨家具の資材として手軽に利用できることが大きな利点で、更に飛騨の匠の伝統を受け継いだ職人が高山には数多くいるなど、工場立地条件に恵まれているから、武田は木工家具の生産は地元飛騨家具の産業発展に大きく寄与できると決意、木工飛騨家具家具会社創業を計画し、大正9年「中央木工株式会社」が誕生しました。

 当時の家具店は、和家具を中心に箪笥や長持ち、鏡台などを扱う家具屋がほとんどで、中には雑貨店で家具を扱う店もあったほどで、洋家具を扱う店はごく僅かであった。ところが、名古屋から東は浜松の東洋木工という曲木家具メーカーがいち早く販売契約を結んで、新規の飛騨家具業者が入り込む余地を与えず、今度は販売面で家具業界の厳しさを痛感させられました。

 やむを得ず飛騨家具の販路を西に求め、大垣・彦根・京都・大阪へと、関西方面に足を伸ばしましたが、こちらも奈良の奈良曲木、布施の泉曲木、大阪の日本曲木など有力な家具メーカーが商品を卸し、よそ者の入る隙を与えませんでした。しかも家具の品質がよく、価格も格安なのに驚かされ、家具業界競争の厳しさを身をもって体験しました。

飛騨家具の輸出


 飛騨家具は、昭和7年には独立した満州などへの輸出に力を注ぎ、高山線が開通した9年には満州・朝鮮をはじめ、海外に飛騨家具の販路を求めて大きな成果を上げました。また、昭和10年にアメリカのバイヤーとの飛騨家具の商談が成立し、日本初の飛騨家具の対米輸出が開始され、12年には飛騨家具輸出が本格的に始まりました。

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